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これも断捨離?『28文字の片づけ』を読んで分かること
片づけをビジネスにしているちゃっかりものがいると言うことだな。人生のお片付けと毎日のお片付けの二つを直接つないで、いわゆる中抜きにして方法論にした。拾ったアイデアが、自分で並べたら、自分の著作権が移るのかな。
『28文字の片づけ』はまだ読んでません。本屋さんか図書館に置いてあればめくってみたいけどそんなにこだわるものでもない。
目からうろこの新しい気付き、着眼、発想が並べられているに違いない。
素直に共感して行動に移せる人は余裕があったのだろう。そういう人は切っ掛けが欲しかったのだ。断捨離エネルギーは充満していたに違いない。
逆に諦めている人にはどのような言葉も響かない。気の毒なことだ。断捨離と言うだけで頭痛がしてくる人もいる。
病院で死にたいとか死ぬなら自宅でとか、そう言う事を思っている人は、まあ前者。
後者の諦めている人には野垂れ死にしか待っていない。
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救急車に乗れる下着か、知人に会える恰好か、などキラーワードを探すのは良いが、何でもそれで対応が付くわけではないし、開き直ってしまえばそれまでだ。いつも他所行く。いつも美恵華君になってもしようがないだろう。
参考になるとしたら、何が基準になるか、その価値観は何か。それをクリアにすると視界が開けると言うことかな。
救急車の奥には葬儀社が待っている。その奥にはお寺さんだ。
似たような発想が、あと1か月で死ぬ。あと1年。あと10年。デッドライン、文字通りのデッドラインを設定すると、見えてくるものもあるかな。
この世に残したいものがあれば、それは最優先と言うことかな。
救急車の味さん御発想だと、孤独死したときでも、見られたくないものは早めに処分しろいうかな。案外いい発想かも知れない。
お片づけは次の活動の起爆剤。
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https://toyokeizai.net/articles/-/353016
家を片付けられない人が目を覚ます強烈な言葉
「あなたは今日の下着で救急車に乗れますか?」
2020/05/31 8:10
片づけをテクニックで語らない「整理収納本」に学びます(写真:denozy/iStock)
緊急事態宣言期間中の長い自粛生活で散らかった自宅を片付けようと思った人、実際に片付けに挑戦した人は少なくないだろう。一方、「ネットや本で見た収納テクニックを真似てみても、自分の暮らしに馴染まなかった、続けられなかった」という経験がある人は多い。
「服は何着くらいが適量か?」「書類はどう片づけたらいいのか?」など、持つべき量や片づけ方に関する質問をよく受けるが、これには正解はない。もしくは答えは1つではないと思っている。人や暮らしが変わればそれぞれの正解、その人に最適な片づけの仕方があって当然なのだ。
筆者自身も片づけや整理整頓の本、ブログをこれまで多く読んできたが、暮らしに定着したのは、ラベリングなどのこまかな整理整頓術ではなく、そこで出会った、たった何文字かの印象的な言葉だった。
「今日の下着で救急車に乗れるか?」。
たとえば、拙著『28文字の片づけ』の帯に採用したこの言葉1つを頭の中に思い浮かべるだけで、どんなハウツーよりも下着の断捨離が進み、ごちゃついた引き出しの中は片づいた。これは他の人でも起こりえるかもしれない。
「気づき」こそが片づけの原動力、促進剤になる
インスタグラム上でこれを公開すると、反響は予想以上に大きかった。「心にグサグサ刺さる」「言葉を見てハッとした」などのコメントとともに、「下着を一新できた」「ずっと捨てられなかったものが処分できた」などと、たった1行の言葉を読むことが大きな行動を引き出していた。「片づけ」とはすべての人が毎日、何気なくしている日常的な行為にすぎないのだが、そこにあるモヤモヤした潜在的な悩みや不満への「気づき」こそが、本気の片づけの原動力になり、促進剤となるのだ。
(出所)『28文字の片づけ』(主婦の友社)
“知り合いに会いたくない服は着ない。持たない。”
これはインスタグラムで過去最高に反響があった言葉だ。1万4000近くの「いいね!」がつき、その半数以上で保存されている。そのほかのコメントや反響の高さからも、クローゼットに関するものが圧倒的で、皆それぞれに「捨てたいのに捨てられない」という葛藤を抱えていることが伝わってくる。その理由の大部分は、「もったいない」と「めんどくさい」だろう。日本語にしかないという「MOTTAINAI(もったいない)」精神が、多くの人の「断捨離」や「片づけ」の前に堂々と立ちはだかっているのは間違いない。
https://toyokeizai.net/articles/-/353016?page=2
家を片付けられない人が目を覚ます強烈な言葉
「あなたは今日の下着で救急車に乗れますか?」
2020/05/31 8:10
(出所)『28文字の片づけ』(主婦の友社)
“片づけたい人、手放したい何かがある人、そして変わりたい人にとって、捨てたいものは捨てていい。なくてもいいものはないほうがいい。”
「読むだけで捨てられる」現象が起きている最大の理由は、そこにある「共感」だ。ハウツー本にありがちな、片づいた部屋や整った収納への「憧れ」「理想」「テクニック」ではなく、読者自身もそう感じたことがあり、言葉の真意がわかることで、人はようやく手放せる。物差しにすべきなのは「誰か」のやり方や量ではなく、「自分なり」の心地よさであり、「そこ」に合った暮らしやすさである。そして、「片づけたい」は「変わりたい」である。
なりたい自分は小さな選択の積み重ねの先にしかない
(出所)『28文字の片づけ』(主婦の友社)
“使わないペン1本を減らしたところで、その瞬間から劇的に暮らしが良くなることはないけれど、その使わないペン1本さえも減らせない人とその暮らしは、一生変わらない。理想のくらしや、なりたい自分は、そんな小さな選択を積み重ねた、その先にしかないのです。”
『28文字の片づけ』(主婦の友社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら
そんな小さな選択で減らしたもの1つ1つは、きっと数日後には手放したことさえ忘れているだろう。しかし、ふと手放したことを思い返せば、以前と変わらない不自由のなさに気づき、なぜいままで持ち続けていたのだろう、とさえ思う。不自由どころか心地よさまで感じさせる。その減らす、手放すという小さな経験が、片づけのきっかけとなり、継続するための力になっていく。
言葉への「共感」と、行動した先にある「実感」は、理想ではなく、自分に中に沸き起こる感情であるからこそ、“文字での片づけ”は地に足のついたものとなり、広がり、加速していくのだと思っている。
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