ゲームの功罪


ゲーム脳

ゲームは気分をリラックスさせてくれると思ったら勘違い。ドーパミンを欲しがる脳を満足させるだけ。ゲームを繰り返すと脳はますますドーパミンを求めて歪になっていく。それがゲーム脳というもの。社会性(現実世界)の優先順位が下げられて適応力を喪失する。

酒、煙草、麻薬、暴力、虐待なども同じようなもの。

しかし、

週末治療とか、自暴自棄とか、自殺願望とか、極端な状況設定では、逆に、ドーパミンを出させて、意図的に能破壊を進める。社会性を捨てさせるためだ。

人間は死ぬ間際まで社会性文化性を維持するのか、何処かで社会人を諦めて常識とか健全性とかを逸脱するのか。

たしなみ(嗜み)

言葉の意味を調べると実態と乖離があるようだ。心得があるが過剰ではない。のめり込んでいない状態。だから何時でも止めることができる。それが嗜み。

就寝時にベッドにスマホを持ち込んでゲームを延々やっていたら、既に破綻したゲーム脳と思っていい。

現実世界に不満を持って逃避している状況なら更に不幸なことだ。

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スマホゲーム依存症

脳の寿命を決めるグリア細胞 (青春新書INTELLIGENCE 637)

  ITに殺される子どもたち 蔓延するゲーム脳

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ルールを決める

その前に、

  • ルールが決められなければアウト。
  • ルールが守られなければアウト。
  • アウト即ち既に依存症

ルール案

  • 時間を制限する。1日20分以内。翌日に繰り延べは不可。
  • 回数を制限する。1日2回まで。翌日に繰り延べは不可。
  • 時刻を制限する。夜9時(21時)以降、朝9時まで不可。
  • 場所を制限する。ゲームなら書斎限定。お酒ならリビング限定。
  • 種類を制限する。ゲームなら1日3種類まで。お酒なら1日1種類まで。
  • 量を制限する。


最近。スマホやタブレットやパソコンで、お金を掛けずに様々なゲームを楽しむことが出来るようになっている。

テレビもビデオも、ネット配信のビデオもサウンドも。

でも、1日は24時間。使える自分の感覚は一式の目と耳とだけ。見ながら、聞きながら、仕事は出来ても、ゲームは感覚の占有度が高くてながらゲームは少し難しい。サウンド(ラジオや音楽)なら、あまり負担にならない。邦画あるいは吹替の美でもまあまあ負担は少ない。字幕の映画などはかなり難しくなる。最も難しいのがゲーム。

脳内リソースを占有するゲームは質が悪いと言うことだ。

そもそも、ゲームとは何か?。

人はゲームを知る前に、まず、脳が一定の訓練を受けている。

  • 課題~達成~ご褒美
  • 課題~失敗~ペナルティ

のようなものだ。お手をするとおやつが貰えると分かると犬はお手をする。子供も変わらない。嫌、大人になっても基本的な構図は変わらない。大人になって、母親のご褒美の言葉を求める心が残っている。

このご褒美を嬉しく思う気持ちは脳の中では、ドーパミンと言うケミカル?の噴出減少になっているとか。

仕事(課題)を達成した時の達成感はドーパミン噴出で裏付けされる。成功体験は表側では周到な準備、勇気、幸運で達成された体験だが、裏側で、強いストレスから解放された時のドーパミン噴出になっている。

成功体験を積み重ねると次もチャレンジできる気持ちになる。達成感を味わいたい欲望があるからだ。成功体験が少ない人は意欲も希薄。

母親は子供小さなチャレンジを与え、成功体験の脳を育む。

簡単な課題。簡単なゲームだ。

課題・ストレス・達成・ご褒美・ドーパミン。

これが繰り返され、そういう頭が出来てしまう。ドーパミンと言う快楽物質を欲しがる頭だ。

麻薬は、何も達成しなくてもドーパミンを噴出させてくれる。具体的なメカニズムは知らないが、ドーパミンを欲しがる脳を作ってしまう。

麻薬もゲームも、基本的には、簡単にドーパミンを貰えるものと言うことだ。仕事であれ、趣味であれ、取り付かれたように夢中になっていたら、恐らく同じ基本的な構図になっているんだろう。健全と不健全の仕切り線を引くことも簡単には行かない。

社会性を逸脱した状況。

原因と結果は逆のこともある。

目の前のチャレンジが厳しく、ストレスに耐えられなくて、代替手段として、ゲームや麻薬や趣味的な世界に逃げ込む。

酒や煙草やセックスが代替手段になるかどうかは知らないが、疑似的な役割を持たせようとするのは、ストレスの多い環境ではよくある話に見える。

  1. ストレスからの逃避行
  2. 只の楽しみ

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ゲームとは何か。 「ゲーム」は「脳」が作り出すもの。

ゲームの設定を理解すると、「脳」が勝手に遊び始める。課題>達成>ドーパミン。達成の見込みのないゲームは放り出される。簡単なゲームはストレス負荷が小さいのでドーパミンが貰えない。

リサーチを踏まえてバランスされたゲームが生き残っているんだろう。

クイズ番組、スポーツ観戦、。ゲームの体験共有かも知れない。ビデオ(映画)を観続けるのも。音楽に浸るのも。

今後もゲーム開発は止まることが無い。むしろ、ゲーム的なものが人生の大きな部分を占めることになるに違いない。

ゲームの何が問題か

  • 自分をコントロールできているかどうか。
  • 酒は飲むべし飲まれるべからず。これと同じ発想。
  • いつでも止めることができるかどうか。時間を決めているかどうか。

その通り。

問題はゲームではない。

自分自身。あなたそのもの。自分のゲームの設定が出来ていない。大きく言うなら自分の人生というゲームの設定と言ってもいい。

時間が経過し、環境が変わり、人生(ゲーム)の設定が更新されるときに、取りこぼし、バグも発生して、それらの修復が出来ないまま積み上がる。

分かりやすい事例がゴミ屋敷。頭の中がゴミ屋敷になっていると、多分、麻薬のお世話になるんだろう。

自分で、ドーパミンを出すものを設定できなくなると、安易な方法に走るのだろう。恐らく、年齢を問わず、常にこの誘惑は存在しているに違いない。

入園、入学、転校、就職、転勤、 結婚、出産、・・・。人生の転機は次々と襲い掛かる。其の度にフォーメーションを組み替えて、新たねゲーム、目標設定と方法論を明確にしなければいけない。それはワクワクする希望に溢れるものの筈だが、ただのリカバリーでしかないこともある。いずれにしても覚悟の人生だ。

断捨離

メンタルも、肉体も、積み上げてきた体験、成功もあれば失敗もある。

断捨離は、しかし、難しい。捨てると残すの判断が出来ない。

スクラップ&ビルド。適切にスクラップ(取り壊し除去)しなければ、 新たなビルド(再構築・再出発)はできない。

断捨離は、単にモノを捨てるのではない。そこには覚悟がある。次の旅立ちへの身支度と思うもの。その家にはもう戻れない。時間が過去と隔つ新しい世界。

ややストイックだったね。

断捨離はプランありきで発送すると間違えます。

断捨離に取り組むことで、心の底が見えてくる。何が大事だったのか、引きずっていたものは?その理由は?。

断捨離はプロがきて一気にやるものではない。過去と未来に向き合いながら、時間をかけてやればよい。もしかすると、それは日常的な光景になってしまうかもしれないが、。とは言いつつも。まあ、人生の転機、イベントでは大仕事になってもしようがないか。時間の制約が入るからね。

ゲームは時間を失い、断捨離 は時間を生み出す。

只の時間つぶし、只の暇つぶし、惰性で続けるだけの、あるいはストレス回避のための、先送りのための、言い訳のための、そういうゲームの利用は、自分にも、ゲームを開発した人にも、恐らく誰にとっても健全とは言えない。人に与えられた最大の試算、時間を失うだけだから。

そういう時間があるなら断捨離。スペースを作る。物理空間も、脳内空間も。自由度を増した空間は探す無駄なども減らして、結果的には時間まで生み出してくれる。

ストレートに、ゲームも断捨離してみよう。


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