木村花SNS殺人事件
クローズアップ現代+
女子プロレスラーの死
ネットの誹謗中傷
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言葉で人を殺すことができる。
1つの言葉、1つのメッセージ、1つの事実、・・・なんでもいいんだ。
どの角度から見るか、どの光を当てるか、どういう心でとらえるか、・・・
全部違ったものになる。
響くものは、心で構えていたもの。共鳴したものが、恐れていたもの、が大きく響く。
攻撃を意図する人には、容易に攻撃の要素をメッセージにできる。
ハンタータイプ:特定の人、信条、団体などに攻撃を続ける人たち。
番犬タイプ:特定の人、信条、団体への攻撃(と見做したメッセージ)に対してアンチのメッセージを送り返す人たち。
お祭りタイプ:美情的に攻撃に乗っかる人。 一過性で深刻でないと思いたいが、メッセージをエスカレートさせるので、危険。
正義漢・警官タイプ:社会の浄化の善行のつもりで攻撃する人たち。事実誤認のままにエスカレートさせることもあってよろしくない。
番組の情報では 埼玉県の60代男性は数百のアカウント使って誹謗中傷を繰り返したらしい。裁判に負けても謝罪も慰謝料の支払いもしていない。この人が晒され攻撃されるかもしれない。
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まあ。ネットを閉じれば、何も入って来ないのだから、そんなに問題でないと思う人もいる。そういう人は最初から、ネットの比重は小さい。
命を守るには。
- ブラック企業なら出社をやめればいい。
- 荒れたネットならネットを切断すればいい。
自分がどう思われるか、どう見られるか、そういうことを無視すればいい。
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例えば、SNSでコメントを受け付けていると、健全なものもあれば、色々な意味で不健全なものもある。1つの嬉しいコメントのために100の不愉快なコメントを受け入れるか。コメントはトラブルの要因にもなることも考えると、最初からドロップさせた方がいいだろう。自分で取捨選択しようものなら、削除を根に持つ人もいるから、それがまた不愉快の要素になってくる。
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誰でも勝手にメッセージを送りつけてくるタイプのSNSは閲覧用に割り切って使う。自分のコンテンツは残さない。フェイスブックとかツィッターとか。
ブログの類はコメントを受け付けないようにする。言いっぱなし。
何処かで炎上していても反応しない。エゴサーチのようなことはしない。円状に気づかなければ反応も出来ない。
目的地に向かってまっすぐ歩くだけ。わき目も振らず。他所見もしないで。
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SNSで殺されないために:
誰にも近づかず、誰にも近づかせない。双方向性の放棄。一方通行。好きな情報を勝手に仕入れて、好きな情報を勝手に送り出す。
想定外のコンタクトが来たら、フィルターでカットする、アカウントを変えてしまう、。決してダイレクトな反応はしない。
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心の優しい人、人の心を信じる人、素直な人がSNSの世界に入ると 、SNSの奥からの反響をうまく処理できないから、処理しなくていいものまで処理しようとするから、オーバーフローしてしまう。放っておけないのだ。
社会の矛盾を自分の心に投影させてしまう。
ちょっと相談すれば簡単に逃げられることでも、SNSの世界につんのめっていると抜け出せなくなるのかもしれない。
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SNSを自分の存在証明にするとちょっとした批判もシリアスになる。
そういう人は一方通行で。宗教と同じ。神や仏は言葉、精神、教えを残してそのまま過ぎていった。それでも尊敬を得ることができる。まあ、尊敬は兎も角として、精神を安定に保つにはネガティブ情報は最初から避けてよい。人間の頭はそのようにもともとできているのだから。
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(追記)
読み返すと分かり難いけど少しわかる。厚顔無恥。あるいは広告のようなスタンス。言いたいことを言うだけで、誰の言うことにも耳を貸さない。これが出来れば、メンタルは大丈夫?。
エゴサーチなど以ての外。気に入られようとしないこと。他人の評価を欲しがらないこと。大事なのは他人の評価より自己評価。
使命感を意識すること。自分の差存在価値。神様との約束。心の中が隙間だらけだと、ブラックが入り込む。
神様の声が聞こえないなら、自分の心の声を聞く。書物を読み、話を聞き、共感を手掛かりに自問自答し、心の奥を冒険する。頭に留めない。心をよぎる藻を次々と書き出す。読み返す。共感から確信を探し出す。
狂信的にならないように柔軟な発想で修正していく。
承認は自分で行う。他人に承認を求めない。
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